「いばしょ」には、”あたたかさ”がある。スキンシップがある。規則はない。自由だ。ふてくされるのもいれば、斜めになっているのもいる。三年目の天狗の鼻を私に圧し折られて、家で不貞寝を決め込んでいたところを幸子さんに踏み込まれて、ガバッと蒲団をまくりあげられたK。そのくせ、幸子さんが迎えにきてくれないかなァ、と思っていたという。馬鹿は死ななきゃ治らないかも・・。幸子さんも幸子さんだ。Kを迎えに行くのに、一緒に連れて行ったのが、七ヶ月間飲みっぱなしで例会に通い続けていたR。歯医者でアル中、ヤク中、女遊びと、悪いことなら何でもござれの極道者。”Rついておいで!”の一言で動かしてしまうとは。この人が私の女房殿ですとなれば、私、豊さんも気の毒かも・・・。
所長は幸子さん、副担はMKさん。この女どもの手にかかると、愛情乞食たるアル中どもはコロリコリロと騙され、素直についていく。”お前達それでもアル中かよ!女の手に乗って宗旨変えかよ!情けない奴等だ”と一人イジイジしているのは、「いばしょ」を創った張本人で、NPO の理事長でもある私その人。その私もアル中、幸子さんの”ユーさん、きちんと掃除しなさい。手抜きはダメ!”の一言で、また一からやり直させられる情けなさ。女ども奴、いつまでも威張れると思うな・・・。
「いばしょ」でやっていることは、朝のミーティング、昼食造り、体の強化プログラムだけ。七面倒臭いことは一切なし。帰りのミーティング終了後はそそくさと閉めて、「O隊」が編成される。一塊となって例会出席。あいつが気に入らないだの、何だあいつは、と自分のことは棚に上げて文句タラタラ。そんな連中の纏め役を押し付けられているTOさんも大変。この人は定年退職組で、退職後は例会に真面目に出ますと、電話では良いことばかり言って実行しなかった人。四年間しらを切られている間に前の会長の山崎さんがガタガタになって、バトンを受け取る羽目になったのが私だ。”No2だから出来ることなんだよ”とか”ボクに会長は無理だよ。まだ手が震えている!”とか何とか言って、結局、逃げ得を決め込んでいる。まア、器が器だから、サンダパンダ役でいいか、と最近では納得している。が、年寄りの悪知恵を感じる時はムカッとする。故にいくら大変な役回りでも同情はしません。
板橋くんだりから調布に来ている早期退職組もいる。名はTD。銀行に勤めながら飲みにも飲みまくって、退職金はおろか生命保険を解約し、子供の授業料も払わず飲んでいた、飲み師ダ。七年間躁と鬱を繰り返した挙句、白旗を上げて「いばしょ」に通い、今はその気もなく、将棋三昧をやっている。ヘボ将棋王より飛車を可愛がりの典型例で、上達の見込みは全くなし。この人は、”俺は男ダ。男は偉いんダ”の生き残り組でもある。力もなく金もないので、今はおとなしく女房の茶碗を洗い、女房の下着類も洗濯をしている。女房の犬の散歩役もやっているという。TDは言う。”全て女房はが悪いからアル中になったんだ。女房がもう少しいい女だったらアル中にならなくて済んだのに”と。更に更にの話だ。何のプライドが邪魔をしているのか知らないけれど、洗濯物を取り込む時、女房の物だけは畳まずに、バサッと部屋に放り込むという。幸ちゃんパンツを畳んで、部屋に置く豊さんとは大違いだ。綺麗に畳んでやるだけで点を稼げることに一向に気がつかない。アル中らしいアル中と言えなくもないが・・・情けない。
品川から通っているTもいる。転職四十数回、果ては何もかも無くして路上生活者。クリニックに通っても”こんな馬鹿どもと一緒にすんなよ”と一人偉そうにしていた医者泣かせだ。どこでどうとち狂ったのか、”最初にオレの話を聞いてくれたのは豊さん。豊さんの造った「いばしょ」なら通えるかなァ、と思ってサ”と言う。今では、捻じ曲がった根性も、ギリギリ治され素直になっている。幸子さん曰く、”最初にTが来た時は、どうしようかと思ったわよ”と言わしめた程の偏屈物が奄美生まれのTだ。かつてのTを知っている者にとって、「幸ちゃんマジックって何なんだ」としか言いようがない。
”私はお酒を飲んで、迷惑などかけたことがありません”と、最初のミーティングでヌケヌケと言ってのけたのがKだ。これも銀行勤めを終えた定年退職組。”放っとけ!そのうちボロが出るよ”とは言ってみたものの、断酒会では最も忌み嫌われる長話家で、月単位で下らない話を聞かなければならない苦痛を味わう羽目になる。三ヶ月目あたりから突如変化する。今度の幸ちゃんマジックは何なんだ。わけが解らない。幻聴、幻覚,幻視雨霰、果ては入院先の井之頭病院内のガッチャン部屋で拘束された話が飛び出てくる始末で、ただただ目を白黒させるだけ。この業界は”私は何も悪いことはしておりません”というのに限ってとんでもないことをやってきているのが常で、最初の頃はよく騙されたが、今はKごときに騙されるほど甘チャンではありません。
「いばしょ」は”ただいま”、”お帰りなさい”で成り立っている。幸子さんの話だと、KJはシカとされるとワザワザ幸子さんの傍らに来て「ただいま」と言って「お帰りなさい」を強要するという。不思議な空間が「いばしょ」にはある。
どんどん職場に復帰してゆく。Nは日野市役所勤めで、二階級降下を受け入れ、気軽な雑用係をやっている。”ダメになったらサッさと止めて、退職金を貰って「いばしょ」のおじさんになりナ”と言ってある。Yは藤沢で介護職に、首の皮一枚で繋がっていた昌志も三か月の無給奉仕後、狛江市役所の土木課に復帰している。今は足が止まっているKが、「心と心が通い合う場所だ」と「いばしょ」を表現し、Yは「航空母艦」といい、YAさんは「アジト」と表現する。Kちゃんは、自分のブログに「いばしょ」の行き方を写真入りで載せてくれている。H君もRちゃんもアジトが好きになってくれたみたいだ。
調布市役所は家賃補助として年三百万円出してくれている。経費は全く寄付金でまかなっている。足りない時もあるが今のところ沈没は免れている。家主さんは酷いのに貸したと思っているに違いない。四十七万円の家賃を三十三万円に下げさせ、今は家賃補助の二十五万円だけ。仕切りはあるが全体のフロアーは八十坪強になる。おまけに水道代はただでいいと言うので”ありがとう。甘えさせていただきます”で済ませている。
私は死んで行く生命が惜しかった。一人でも多く助からないものかと、何年間かない脳ミソで考えた。作業をやるにしては、アル中さんの能力は高すぎるし、昨日までいっぱしの給料取りだったのが、今更袋貼りなんぞ素直に出来るもんじゃない。能力の高さで特筆すべきは何か。それは悪知恵だ。生きてくるのに必要だったのが悪知恵だとしたら、この悪知恵を根っ子から叩き直して、「素直に生きる知恵」に変えられないものかと。変えてくれる人はいないか。私は本人だからダメ。いた。幸子がいた。幸子さんに勝てるアル中はいない。このオレを黙らせた人だ。幸子しかいない。そして、今幸子さんは、「アル中さんは、暖めなきゃ、駄目よ」をテーマに日々奮闘してくれている。
悪知恵を働かせて、見て見ぬふりをしている豊さんではありませんよ。私も影になり日なたになり、裏方さんとして所長の幸子さんを支えているんですからネ。信じるも信じないも、あなたしだい。
「いばしょ」雑感 YK 2009
