「小さかった私」の本当の気持ち ④ NO(家族) 2013

私はお父さん子、弟はお婆ちゃん子とよく言われていた。あれ、いったい母はどこに居たんだろう?
父に言われてとても嫌だった話がある。冗談で話をしているのは子供にも解っていたが、何度か私のことを「この家の子供じゃない。多摩川の橋の下から拾ってきたんだ」と話していた。
言われたシチュエーションは覚えていない。私が悪いことをした時なのだろうか?父に怒られた記憶は一度もない。
なんでそんなことを言うの?私のことが嫌いなの?
とっても寂しかった。とっても傷ついていた。
そんなこと言わないで欲しかった。
小学校1・2年生の頃、自転車で2・30分かかる多摩川へ一人で行った。父と弟が多摩川へ釣りに出かけていて、私はどこかから帰ってきて置いていかれたと思ったのだろう、一人でなんて行ったこともなかったのに、一生懸命、一生懸命自転車をこいだ。多摩川で父と弟を見つけて私はとても嬉しかったし、見つけれれてホッとしていた。
父は私を見て本当に驚いたようだ。何回も来たわけではない。子供にとったら遠い所まで一人で良く来れたとびっくりしていた。
私は置いていかれてら大変だ・・・と必死だったような気がする。

父に遊びに連れていってもらったのは、多摩川か釣り堀、遊んでくれたのはキャッチボールと思い込んでいたが、子供を遊ばせようというのではなく、自分の遊びに連れていっただけだった。
思い返すと、父は川や海にも釣りに出かけて行った。帰って来るとたくさんの釣った魚の内臓の処理をする。量が多いのでとても臭かった。
私はその臭いがとても嫌いだった。大人になっても魚の内臓の臭いが苦手で気分が悪くなった。
家には釣り竿が壁に整頓され何本も並べられてあった。
私は高齢の祖父母がいたから、どこへも遊びに連れて行ってもらえなかったと今の今まで思い込んでいた。

小学校1年の時、私は一度ずる休みをした。
同級生の友達と二人で登校の途中に遊んでしまい、遊びすぎて学校の始まる時間に間に合わなくなり、遅刻して行く勇気もなく、じゃあもう少し遊んじゃおうと遊んで家に帰りました。
母は私に特に何も言わなかったし、私も自分から何も言わなかった。
友達は、親に問い詰められたのか、自分から打ち明けたのかは解りませんが、学校をずる休みしちゃったことを告白して、友達の親が母に連絡してきたようです。
それでも私は母に怒られた憶えがない。母に問い詰めれれた憶えもない。母は私に関心がなかったのか?どーしてこんなに早く帰って来たのか疑問にも不思議にも思わなかったのか?
私も私で、正直に親に話すことをしなかった。
私はずる休みをしたことをそれほど悪いことをしたとは思っていなかった。
友達の親はこんなに早く帰るのはおかしいと子供に聞いたのだろう。
友達は親に打ち明けたのに、私は言えなかった。言わなかったことが自分がとても悪いことをしたように思っていた。
学校に行かなかったことより、私はそのことの方がひっかかっていて、母は私のことを何も責めなかったが、私はなんで打ち明けられなかったんだろう・・・と自分で自分を責めていた。
親がそのつもりであろうとなかろうと私は無視されていると感じて大事にされてないと感じていたんだ。

⑤へつづく