「小さかった私」の本当の気持ち ⑤ NO(家族) 2013

小学校2年の夏休み、私と弟は母に江の島の海に連れて行ってもらった。
私が小学校低学年の頃は夏休みの宿題に毎日の絵日記があった。
母の実家は歩いていける程近くて、その上商売をしていて、私は泊まったことは一度もない。叔父・叔母が感じが悪くて泊まりたいとも思わなかったが、田舎のある友達、父親の実家、母親の実家に行ける泊まれる旅行ができる友達が羨ましかった。
父の兄弟姉妹はいとこを連れて私の家に泊まって行った。それはそれで楽しかったし、実家ということで私と弟が一番数多くいとこ達と会っていたのだった。
祖父も認知症の症状も出てきて、出かけることのほとんどない家だったので、絵日記に書くことがない。
それとともに昔は夏休み中毎日ラジオ体操がある。友達にはいろいろ休む理由があるが、ウチには理由がない。これも嫌だったなー!
私は母にそのことを言った憶えはないのだけれど、母は夏休み子供をどこかへ遊びに連れて行ってあげたいと思ったのだろう。
生まれて初めて海に連れて行ってもらった。生まれて初めて海を見た。海で泳いだ。これが最初で最後だった。
町内会の夏のイベントに申し込んだようで、母と私と弟はバスに乗り江の島へ向かった。
母も私もバスは得意ではなく、車に酔い苦しい思いをしながらも私は楽しかった。
弟は幼稚園、私は2年生。昔は日焼け止めクリームなんてなくて、海で一日子供の相手をしていた母の背中は真っ赤になり、火傷をしたようになっていた。
それから日に日に水ぶくれになり、酷くなってゆく。一緒に風呂に入る母の背中は真っ赤で水疱が大きくなり、子供が見ても痛々しく酷い状態でした。
この母の背中が私のものすごく強い記憶として残っている。
私はこの時を境に自分の要求を云えなくなっていった。
云わなくなっていった決定的な出来事だと思う。
私達を遊びに連れて行くと母が苦しむ、酷い目に合うという強迫観念が私の中にインプットされてしまった。
この先私は親に何をしてもらうかではなく、私は何をしたらいいのかばかり考えていた気がする。
しかしこの時の母の気持ちは私の考えとは違っていたのだろう。子供を遊びに連れて行ったら悪いことが起きるなんて思わなかっただろう。
子供を一回でも遊びに連れて行ってあげたい。自分の体が痛くても気持ちは晴れやかだったのだろう。
親に関心を持ってもらえない。親に世話をかけちゃいけないと感じていた子供は、親を困らせるようなことは言っちゃいけないと強く想う出来事になってしまった。
小学校2年の冬、祖父が他界した。
祖父の通夜も葬儀も自宅でやった。部屋に白黒の幕を張り、祭壇を飾り、外に花輪が並んだ。料理も近所の方々が自宅の台所を使い手伝ってくれた。
子供は邪魔で、私と弟は父の姉の結婚相手の両親一家が裏手に住んでいたので、通夜の間預かってもらい、お風呂に入らせてもらい、遊ばせてもらっていた。
祖父の他界で父の兄弟姉妹、いとこが勢揃いした。 
葬儀に際し長男ではないが、祖父と一緒に住み、扶養している微妙な立場の父。長男の嫁は出ては行ったが、嫁の立場は二人で、これ又微妙な立場の母。
この時も私は世話のかからない子をしていた。騒がず言われてことを守り、静かにしていた。
親の方も自分達が必死なので、大変なので、頼むから世話をかけないで、問題を起こさないで、我儘言わないで・・・・・なんだか私の夫に酒で問題が起きていた当時の私のようだ。私も子供とこんな風に接してきた時がある。