出刃包丁を振り翳して「殺してヤル!殺してやる」と叫びながら母を追い駆けまわしていた父の記憶は、今でも生々しい。人が人として生き始めるという三歳前後の私の記憶が酒乱の父の刃物三昧とはなんとも情けなくなるが、事実は事実として認めざるを得ない。昼間のこともあるが暴れるのはたいてい夜で、大声とともに私達兄弟は起こされ、布団を頭からスッポリ被って怯え続けなければならなかった。
適当な愛と保護が必要な時期に生命の危険を察知して怯えなければならなかったのが私達兄弟の幼少期になる。ガタガタ震えながら様子を窺っているうちはまだしも、バターンと戸板の音がしたかと思うと、母が外に飛び出し父もその後を追い駆けて行って消え、物音一つしなくなった部屋の中には子供達だけが取り残される。この瞬間の不安と恐怖は筆舌に尽くしがたいものがある。ジワーと体中が熱くなってきたかと思うと、一転して背筋に悪寒が走り、歯がカチカチ鳴り始める。懸命に歯鳴りを押さえようとするが、努力すればするほど速度は早まり、体の震えと共振して鼓膜が膨らみ頭がボーとしてくる。こうなるとただジィーッと耐え抜く以外になくなる。どのくらいの時間が経過したのか定かではないが、やがて体が火照り始め、足の指先が暖かくなり、朦朧とした意識の中にも睡魔が訪れ、疲れ切ってグッタリとする。知らぬ間に眠りに就いたのだろう気が付くと朝になったいる
辛い環境の下では人の心は幾重にも歪められるものなのだろう。記憶の糸をブツブツに切り刻んで忘れ去る方法を。この時期から身に付け始めたような気がする。どんなに辛い経験であっても私の身の廻りに起きた出来事は、私のルーツとして記憶されているべきものだと思うが、一夜明けると昨日のことは私とは関係のない他人事になっている。幼い生命は辛い家庭環境の中では生きてゆけない。それ故、辛い経験を葬り去るのは止むに止まれぬ自営手段とならざるを得なかったのだろうが、その代償は余りにも大きく、一人の人間の中にもう一人の別な人格が生息するという二重構造の中で生きてゆく運命をも背負うことになる。
前夜の恐ろしい記憶を抱いた状態では子供の輪の中に入って行けないのは当たり前のことで、怖い記憶が脳裏に甦れば余りの辛さが故に目の前の遊びに夢中になる。夢中になって遊ばなければ忘れられないから、他の子供の何倍もの熱心さで遊びに夢中になる。が、目立つ動きをする子は一人浮いた形となり仲間から外されていく。遊び友達もなく心のウサを打ち明けられる友もなく、いつも淋しさに耐えなければならなかった私の幼少期の実像がここにある。
酒乱の家庭に生まれたものは自分の生命は自分で守らなければならない。夜の狂気は朝には何事もなったように平穏にはなるが、怖い思いは記憶に残る。何かに夢中になることで束の間の平安は得られるが、遊び友達から弾き出されて一人ぼっちになると又思い出してしまう。夕方になってだれ一人周囲にいなくなってもなかなか家に帰りたがらない。これも記憶の糸が昨夜の恐ろしい体験に結びつくからに他ならない。三歳の時点で私は既に孤独な人生を歩く宿命を負わされていたということとなる。安心して心の傷を直せる癒せる場所がどこにもなかったのが現実で、飢えと渇きの中で幼い生命の灯を点し続けている。
感情の起伏が非常に激しく、何でもないことでも必要以上に燥ぎ廻っては他の者の顰蹙を買っていた。これも淋しさを紛らわし、怖さを忘れるためにはなくてはならない行動パターンのひとつだった。頓狂なことをやれば他の兄弟達も笑い、その笑顔が私の心を癒してくれる唯一のものだっただけに、繰り返し執拗に同じ事をやっていたのも事実だ。子供らしからぬ奇異な行動として、辛い記憶を忘れ去るためには必要なものだったのだが、そんな努力も夜が深まるにつれ空しいものになっていく。父の帰宅がソレだ。
父の酒乱沙汰は幼い五つの生命を常に危険に晒していた。傷が癒えぬ間に次の酒乱沙汰が起こる。
「こんな家に生まれてこなければよかったんダ」と思いつつ、どうしようもない現実が目の前にある。何かに祈るような思いで、ジィーッと朝になるのを待つのが、幼い者達の取れた唯一の自衛手段であり、辛い現実から目を反らして空想に耽ることのみが、心の安らぎを得る唯一の方法となっていた。
「ここの家の子ではない。別な家の子なのダ」との思いは、現実の父も母もそして兄弟達をも赤の他人となしていく。夢を現実であるかのように思い込むのにそう長い時間はかからなかったし、苦労もいらなかった。自分を消す方法を発見できないでいるうちは、現実と夢想の世界を行きつ戻りつしなければならなかったが、「あの子のようになりたい」と思い、その子の家庭を想像するだけで現実の私は消え、夢想の世界に同化できた。
心を自由に操作することで、辛く厳しい現実から逃れることを知った私は、精神科医に出会う四十歳迄この二重構造を生み出す手法の中で生き続けている。どんなに辛い現実に遭遇しても今存る瞬間だけ耐え抜けば後は楽になれるんだとの思いは、現実の辛さを「私のもの」とはせず、私とは関係のない「他人のもの」とすることに他ならない。耐え抜いた後の私の存在はその場になくなり、私のルーツは寸断されやがて消滅していく。人の場合はその人との関係を切り、物の場合はその物を破壊し捨て去る。記憶に残ってなかなか消えてくれない場合は、人であれ物であれ新しい関係を造り上げては、その関係に夢中になり、古い関係を忘れようとする。批評もしくは酷評をしてその物の値打ちを下げ、意識的に私には関係のない無価値は物とし、過去の中に置き去りにする。事実を事実として認める能力を自らの手で歪め、場当たり主義的にその場を凌ぐ方法のみに腐心してきたからこそ、二十年間もの長きに渡って宿酔いの苦しさにも耐えられていたのだ。
「過去の私」と今存る私を繋いで一元化を図ってゆくには、心の奥底で根深く否認され続けてきた過去の私を「今存る私」が繰り返し語り続ける以外にない。