私が、井之頭病院にアルコール依存症で入院したのは、七年前の六月六日です。
入院のきっかけは、法子さん(京王では、妻や女性に、敬意を込めて、名前に「さん」を付けて呼びます)の。「五十六才で死んだお義父さんと年が一緒だよ。最近、呑み方も変よ」と言われ、軽い気持ちで入院することとなりました。
しかし、入院してみると、我々アル中は、一生涯、酒は飲んではいけない、断酒の道しかないことを教わり、元々酒が好きというわけではないし、死んだ父と同じアル中ではイヤだと思い、断酒に挑戦することにしました。
そして、病院のプロブラムを無事にこなし、三ヶ月が経ち退院となりました。
しかし、会社には復帰できず、京王断酒会の「いばしょ」という自立支援施設に半年通うこととなりました。
「いばしょ」では、午前、午後のミーティングと昼の自炊、そして夜は、都内の各断酒会に参加がプログラムでした。
そして、六ヶ月が経ち、会社復帰しても、夜の断酒会巡りは続きました。しかし、仕事復帰後のほうが、辛く大変でした。
そして、一年が過ぎたころ、法子さんから、「あなたは、断酒しても全然変わらない。これ以上一緒に生活できない。別居して欲しい」と言われてしまい、私は何を言っているのかわからなかったのですが、法子さんの決意は固く、別居となりました。
家で亭主関白だった私は、家事と仕事と断酒会の三つのことを、全て一人でこなすことは、非常に大変でした。
睡眠時間も、四時間程度で、休みなく断酒会がありましたが、続けることが出来ました。
それは、例会場で聞ける本人や家族の体験談が、私の心に刺さり、自分の妻や子供達が私の酔っている姿を、どう思ってみていたのかが、又、どんなに傷ついていたのかが、少しずつ、分かるようになりました。
そうすると、不思議に、呑みたいという気が、薄れていってくれました。
そして、今の苦しさは、自業自得であり、「今」飲まないで、一人で生活し続けることが、一番の謝罪と信頼回復になるのだと気が付きました。
それから、七年目になり、今の自分を支えてくれているのは、「冬は必ず、春となる」です。
朝の来ない夜はありません。又、冬は、必ず春になります。
飲まないで、一日一日を過ごして行けば、必ず「春」という幸福が来ると思います。
今まで、酒に逃げて、全てを後回し、俺が、俺がの自己中心的な自分自身を変えて行く為にも、これからも一日断酒で、頑張って参ります。