一月六日の本部例会で二十五段の表彰状をいただいた。
昭和四十六年一月に入会し、初例会出席が赤城神社で開かれた新宿例会だった。なんの共感も感動もなかったが、私を責める人がいない、ホッとできる空間を見つけたというのが率直な感想だった。
以来二十五年、二十世紀も終わろうという現時点で考えてみると四半世紀も断酒会にお世話になったことになる。自身の努力はさておいて、こんなに長い間私を支えてくれた妻をはじめとする周囲の人々のご苦労に、何をいって感謝したらいいのか言葉も出ない。
強いていえば、今後も完全断酒を継続することがせめてもの償いといえようか。
一区切りついた今、過去の断酒体験を振り返って今後の断酒に生かせる教訓をいくつか拾ってみよう。
◎夫婦の二人三脚のヒモの結び目は初めは水平ではない =入会すると断酒継続は夫婦の協力が必要と教えられる。夫はイヤイヤ入会させられたので断酒に対する目線は低い。一方、妻はやっと地獄から解放されるかも知れないので、やたら目線を高く置く。ヒモの結び目の高さが違うままヨーイドンと飛び出すので、二人の二人三脚はよろけたり転んだりでギクシャクしている。
夫婦一緒の例会出席により結び目の位置、つまり目線が水平になりスムーズな前進が可能になる。
◎断酒の幸せは少しずつだが確実にくる =断酒会には幸せの時計がある。普通の時計と同じように目盛りは十二の刻みだ。例会回りという長針が文字盤を一周すると断酒の幸せという短針が一つ目盛りを刻む。例会回りをやらないかぎり、幸せはいつまでたってもやってこない。
◎断酒会は水鳥 =静かな湖面に浮かんでスイスイ泳ぐ水鳥。しかし水面下では強力な水カキのついた足がひんぱんに水をかく。このアクションがあるからこそ前進できるのだ。
断酒会も同じ。穏やかな断酒生活は辛く苦しい例会まわり結果があってこそ得られるもの。明日の幸せは今何をやっているかで決まってくる。
◎白アリと台風 =三六五日、一日も欠かさず例会出席した会員が東京には何人も存在している。それどころか、家族でもこういう人が出現して私などは畏敬することしきりである。こういった”偉人”は別として、例会に出席しないで断酒できた日々が一年の間に何日、何十日、あるいは何百日かある。一日断酒の原則からいえば一年断酒が続けば、こういう場合でも「結果オーライ」にはなる。
しかし断酒会員には飲酒欲求という宿命がある。頻度は問わずに間違いなく存在している。この飲酒欲求という台風が突然吹いてきたら、自分の構築した断酒の家はどうなるのだろう。堅牢そうな断酒の柱ももろく倒れないか。「例会に出ないで断酒できた日々」は白アリに似ている。外見には見えないが、内面では柱を穴だらけにして風圧に耐えがたくしているのだ。例会に出て、できるだけこの恐ろしい白アリを排除しよう。
断酒会は奥が深い。断酒体験を積み重ね、これからも断酒に有益なさまざまは教訓をドン欲に得たいと思っている。
今年もどうぞよろしくお願いします。
四つの酒害体験から TT 1996
