私の娘は、一昨年の8月に24歳でアルコール依存症と診断されました。こうなったのも、私自身の育った環境と私の酒癖が原因であることが、京王断酒会の中でいろいろなお話を伺うことにより、はっきりと理解できるようになりました。
私の父方は、アルコールに飲まれる家系です。祖父は、父が幼い頃酔って喧嘩をし、命を落としたと聞いています。まもなく、病弱な母も亡くし、姉と親戚に育てられた父は苦労して生きてきました。若い頃から酒、タバコ、ギャンブルが当たり前の生活でした。
仕事はしていましたが、収入のほとんどは自分のために使ってしまい、母が内職をして家計をやりくりしていたのです。生活が精一杯でしたので、私はほとんど構ってもらえず表情の乏しい子供でした。小さい頃から父親の悪口を母から聞かされていたため、私も酔った父には嫌悪感をむき出しにしており、そんな反抗的な私に父は逆上し、親に対して取る態度かと暴力を振るわれました。
母は家事仕事で忙しく話を聞いてもらったり、褒めてもらった記憶がほとんどありません。何かと人と比べられたり、何をやってもできないと言われて育ちました。
小学校3、4年生頃には、なぜこんな家に生まれてきたんだろう。自分なんて生まれてこなければよかったと悲観的な考えにさいなまれ、何事にも無気力でした。無表情で無気力な子供でしたから、学校ではいじめの標的です。しかしその事は、親に話せませんでした。
その後高校生になり環境も変わったので、新しい自分になれるかもしれないと言う期待を持ち、部活に入りました。毎日仲間たちと厳しい練習に耐えたことによって無気力な自分から少し頑張る自分になることができました。
お酒を覚え始めたのは高校卒業した頃です。幼少期から酔ってだらしのない父を嫌っていたので、お酒なんて飲む人間にはならないと決めていたのに、いざお酒を口にした時、心が自由になった感覚を知りました。口下手だったのにペラペラと話し、心の底から笑うことができ、別人になれた気持ちになりました。
この頃からお酒は私の癒しになっていきました。23歳で結婚し、長男、次男、末娘と3人の子供を授かりました。妊娠、授乳中は飲酒していませんでしたが、子育て中は何か行事のある時以外ほとんど毎日飲んでいました。
私にとって癒しのお酒も子供たちが高校、大学になった頃から苦しいお酒に変わってきました。ブラックアウトや二日酔い、休肝日を1週間続けるのも辛くなってきた頃、当時専門学生だった娘が酔った私を見て「そんなのお母さんじゃない」と言われ我に返りました。嫌だった父と同じ姿を娘に見せているのかと本当にショックでした。これをきっかけに私の断酒が始まりました。
娘が就職して3年目、コロナが流行し勤務形態が変わった頃から出勤前に過呼吸を起こすようになりました。過呼吸の回数も増えていったので職場を離れたのですが、休養もせず違う職場で働き始めてまもなく勤務中に痙攣を起こし、救急車で病院に運ばれました。この時はアルコールが原因だとわからず、内科にかかり仕事はやめて家で療養することにしました。
家にいると娘の様子がどんどん変わり、アルコールが原因だと私たちも気づき、井之頭病院を受診したところ、アルコール依存症と診断され、過呼吸も痙攣もアルコールによるものとわかりました。通院して様子を見ていくと医師から言われましたが、アルコールに支配されている状態の娘は離脱症状に耐えられずお酒を買いに行く、飲んで転んで血だらけになって帰ってくる、気分が良くなると友達と外出して何時に帰宅するかわからない、電車移動も泥酔して終点駅まで行ってしまう、命に関わる行動に進行していきました。
私たちも怖くなり病院に相談し本人とも話し合い、受診した翌月から井之頭病院に入院することになりました。
アルコール依存症と言葉では知っていましたが、入院して3ヶ月お酒を断てば良くなると甘い考えでいました。3ヶ月で退院し2週間後には再飲酒。週に1度通院していましたが入院前のひどい状態になってしまい時間だけが過ぎていきました。
退院から3ヶ月後の3月友達の結婚式の招待状が届き、本人はどうしても出席することを望んでいたので、3月末から4月末の1ヵ月間2度目の入院をしましたが、退院したその日に再飲酒してしまい5月の結婚式には出られませんでした。
病院から「AA」や「断酒会」の話を聞いていたので、家から近い断酒会を調べたところ、調布に「京王断酒会」がありました。京王断酒会に通い始めこの病気の根深さ、怖さを教えていただき、そして幼少期の生育歴、環境がアルコール等「依存症」と非常に深い関係があることも理解できました。
私自身、健全な家庭で育っていなかったため、自分の思い描く理想の家庭は実現すべくもなく、子供たちに対して不機嫌な態度を取り、余計な我慢をさせ、どんな生きづらさを刷り込んでしまったのかと心が痛みました。
ある時、断酒会で「過去と人は変えられない」「未来と自分は変えられる」と教えてもらい、過去を悔やんでも子育てをやり直すことはできません。自分自身が「健全な心」に近づき、明るく前向きに生きていこうと気づかせてもらいました。
娘は去年6月から京王断酒会の運営する自立支援センター「いばしょ」に約1年間通所し、朝10時から夕方4時半までの時間、朝夕2回のミーティング、掃除や昼食作り、卓球等、風見理事長夫妻を始め先輩方からたくさんのことを学ばせていただきました。
通っている間も何度かスリップしてしまいましたが、その都度皆さんの温かい励ましで入院もせず立ち上がることができました。
願望としてはもう少し「いばしょ」で自分探し、弱い自分との向き合い方などを学んでほしいと思っていましたが、娘には娘の思いがあります。今は「いばしょ」を離れてアルバイトをしています。心配にもなりますが、「娘は娘」「私は私」です。私自身も病院につながらなかっただけで「アルコール依存症」だと感じております。
アルコールと離れていくためには断酒会が必要だと思います。私は断酒会通いを始めてから人前で少しずつ話せるようになり、考えすぎて行動できなかった自分から「とりあえず動いてみよう」と少しずつ行動できるようになってきました。断酒会の「言いっぱなし」「聞きっぱなし」が私には自信につながっていると思います。言ったことに対して否定されることもなく、しかもいろいろな考え方の話が聞ける「一人ひとり違ってていいんだよ」と言われているような温かい気持ちをもらえる場所と感じています。
私自身、今を大切にできる自分でいられるようこれからも断酒会通いを続けていきたいと思っています。娘にも「1人で我慢の断酒は続かない。」断酒会で「人の話を聞く、自分の話をする」ことが断酒継続には必要不可欠であることに気づいてほしいと願っております。
娘と私のアルコール依存症 YT (家族 )2024
