三歳以前の記憶は辿れない。どのような子として生まれ、どういう性質だったのか、肝心要のことを知らずして私が私を知ったということにはならないと思う。何等かの手掛かりはないものかと、パンク寸前まで脳ミソをフル回転させて記憶の糸を辿った結果、今にして漸く生前の母の言葉の一つに思いを馳せることができている。
「癇の虫の強い子だったのでお祈りしてもらった」「指の爪の隙間から癇の虫がニョロニョロ出ていくのがカアさんには見えた」という。多分、私という子は、母親のオッパイでお腹が一杯にならないと、腹を立てて乳首をイヤというほど嚙む子だったに違いない。
妻の話によると、長男はある程度お腹が満足すると胸の中でスヤスヤ寝息を立てる子だったが、一歳年下の長女は、足りないとなると乳首を思い切り噛んで妻を飛び上がらせる子だったという。長男の要求は緩く、長女の要求はキツイ。長女の猪突猛進ぶりは親の私とよく似ている。
癇の虫の強い子として生まれたのが私だとすると、三歳以後の起伏の激しい性格そのものが納得されてくる。等しく分け与えられたものでも、自分のものが少しでも多くないと満足しなかったし、兄や弟たちに与えられたものでも、自分が欲しいとなると奪い合いの喧嘩をしてでも手に入れていた。
欲求が叶わないとなると道路に寝転んでは大声で泣き続け、母が痺れを切らして怒り出すまで止めようとはしなかった。生まれたときから母を手古摺らせ、腕白三昧を繰り返していたことを今静かに思い起こしている。
親にとって育てにくい子は、好むと好まざるとにかかわらず邪険に扱わざるを得ない場合が多く、ましておや、アル中の亭主を抱えて五人の子供の子育てとなると、その生活の苦しさは想像するに余り有るものがあり、時として、アメ玉一個すら買い与えられなかった日もあったろうと思う。
悲しい哉、子は母の事情など知る旨もなく欲しいものは欲しいとムズがるが、生活苦は、お腹を満たすその日の食糧確保を最優先させ、生活を維持するための労働すら要求する。普通の子なら、誰しもが持っている欲求は表沙汰にしてはならないものとして心の奥に秘められ、欲しいものを欲しいとは言ってはならない生活習慣を身に付ける。
癇の虫の強い子の要求は常に激しく、要求が受け入れられなかったときの不満は、普通の子の何十倍もの大きさに膨れ上がる。生まれながらにして持って生まれた気質が、人並み外れた感受性であり感情の起伏の激しさだとすると、三歳以後の私の底無し沼にも似た淋しさの正体が、より一層はっきりしたものになってくる。
要求が満たされなかったときの不満は、母の苦労を膚で感じている子だっただけに、発散しようにも発散する場を失って抑圧され続ける。最初は小さな塊だった不満も、心の奥底に蓄積されて大きな塊となり、癒されることなく鬱積された淋しさとなる。不満は、一時的な怒りの爆発で消滅していくが、淋しさは、心そのものとなり私の人生観を支配し、やがては私の人生そのものとなっていく。
「風見さんの淋しさは普通の人のとは違います」との、精神科医の言葉の意味がここにあるとするなら、幼少期の頃から現在に至るまでの四十数年間、淋しさに支配されてきた私の人生そのものが、他の人とは異なるものだということになる。
癇の虫の強い気質、淋しさを払拭し切れなかった母子関係、赤貧とまで言われる劣悪な家庭環境など、数え上げればキリがないほど悪条件が幾重にも折り重なって私と言うアル中患者ができたのだとするなら、世は余りにも無常というより外なくなってしまう。
過去はあっても過去には戻れない事実を踏まえるとき、第二の人生が「アル中人生」のような気がしてならない。「アル中人生」が今後どう生きていくかを考える人生だとするなら、過去の追憶の中で酒を飲み続けて人生を終えるより、酒を止め続けて人の輪の中で生きていったほうが、より人間臭いということになるのかも知れない。三歳以前の私を知ることが、今後の私の人生を決定付けるものになるとは予想だにしていなかった。