断酒しても酒乱 TN 2014

 七月に四段の免状を頂きありがとうございました。とても嬉しく思います。
自分は、平成二十二年七月七日の七夕に井之頭病院を退院後、京王断酒会に入会し、もう四年、まだ四年と言う感じですが、自分なりにプログラムをこなしてきた結果、飲まない生活が出来る今の自分がいると思っています。
 井之頭病院に入院する約八ヶ月前、平成二十一年七月十六日、職場の人事異動により、やりたくもない誰もが敬遠するポストに就き夜勤の仕事をしていた自分は、普通なら朝の九時頃には制服から着替えて職場の玄関を出られるはずが、自分だけはいつも損をしている。自分だけが・・・、自分だけが、そんな思いが非常に強くなり酒のツマミになり、段々酒量が増え500mlの氷結レモンの缶酎ハイを一日20本近く飲み、その年の秋には手も震え、家族に対し暴言を吐くようになりました。妻の顔を見れば「出ていけ!邪魔だ!」とありとあらゆる暴言を吐きまくり、元日早々子供三人と共に家から追い出し、次男の小学校入学式前日にも家から追い出す始末で、見かねた妻から「病院に行って」と言われ最終的に井之頭病院に通院、入院となります。井之頭病院に三ヶ月入院中「いばしょ」、京王断酒会を知り、退院したその足で「いばしょ」に行きました。職場に復帰するまでの約八ヶ月間、意地になって必死こいて昼は「いばしょ」に通って、夜は断酒会に出席してきつくて辛い毎日を送っていました。
 断酒をして、二、三ヶ月はまあ平常に生活していましたが、段々妻の顔を見ると二十四時間、三六五日腹立って「お前は楽しそうにしやがって、お前に酒を止めさせられたんだぞ俺は・・・」って思うと、益々イライラしてきて、憎い気持ちも沸き上がってきて、話しかけられても完全無視。朝の挨拶も「行ってきます」も無し、「ただいま」なんて無し、家に帰れば直ぐ二階に上がってご飯も食べずに就寝なんて当たり前で、毎日の様に喧嘩する有様で、断酒してても飲んでいる時と変わらず暴言を吐き「出て行け!離婚だ!お前が出て行かねえなら俺が出て行く!」を繰り返し、妻からは「飲んでた方がまだまし」と言われました。職場に復帰しても、何もやらしてもらえず、ただ机の前で座るだけの生活が続き、例会から帰ると妻の顔、一挙手一投足が気にいらなくて大喧嘩となり、妻の胸倉を掴んで押し倒し、「ふざけんじゃねぇ、俺がどんな気持ちか分かるか!」と怒鳴り散らし、妻も応戦してくるから余計いきり立って、頭が真っ白になって危うく妻の首を絞めそうになるほどの殺意を覚えましたが、後ろで見ていた長女と長男の「パパ最低!パパもうやめてよ!」と自分の背中を叩き泣きじゃくる声で我に返りました。
 この時、例会で話すことと言えば、大体職場の愚痴と妻に対する苛立ちのみで「俺はこんなに辛くて苦しくて、全ては妻のせいだ!」を連発しており、自分でもどうして良いか分からない状態が続き、「いばしょ」の所長である幸子さんからは「そんなに嫌だったら別れなさい」と一喝され、かなり投げやりな気持ちになっていたことを思い出します。
 職場が休みの日は「いばしょ」に通所し、ミーティングの合間を縫って脳トレの一環として将棋を指して過ごすこともあり、小さい頃から将棋は大好きだったので一人でよく指して遊んでいました。断酒して三年目の秋頃に、京王断酒会の会長の豊さんから「時間があるとき、将棋道場でも行ってみたら・・・」という言葉に適当に返事をしていましたが、三ヶ月位してからふと思い出したように行って見ようと思い、行った場所が千駄ヶ谷にある将棋会館で六局程指して一級の棋力を認定してもらいました。すごく嬉しくて、今まで妻のことが腹立ってしょうがなかった自分が、その日から不思議と妻へ対する苛立ちが消え、将棋一色となり心身共に楽になっていきました。
 断酒して丸四年、今は何とか妻と三人の子供達と仲良く?過ごすことが出来ていると思います。
 これからも、断酒会「いばしょ」に通い続け、家族を大切にし自分の組んだプログラムを崩さず努力していきたいと思います。頑張ります!