十五歳の四月に印刷会社に就職して、その十二月職場の納会で面白半分に大き目の湯吞茶碗に日本酒を冷やで一気飲みしたのが酒との出会いの最初でした。
年が明けて一月四日会社の新年会で全社員で有楽町に観劇に行って、職場の先輩たちと一升瓶の回し飲みを十五歳の子供がやっていた。次の日会社に行くと事務所の女子社員に冷たい態度で非難された。
それから職場の先輩に酒屋に連れていかれる様になり、大人たちと酒屋の立ち飲みをする様になった。先輩に酒屋に連れていってもらうのが楽しみになって誘われるのが待ち遠しくなっていった。今日は給料日だから誘ってくれるのではないかと思う様になり、声がかからないとガッカリする様になった。
十六歳になった頃は、どうしても飲みたい時は一人で酒屋に行くようになった。その内に一人で飲み屋にも行く様になったが、さすがに初めて入った時は、私は身体が小さく当時は中学生並の身体でしたので、子供は駄目と言われるのではないかと店の前を何度も行ったり来たりして、何度目かにどうしても飲みたい気持ちを抑え切れずに思い切って店の中に入りました。店の人に何も言われずお銚子を二本飲んで度胸が付いたのか、それから一人で飲み屋に平気で飲みに行く様になった。
十七歳になった頃、職場の若い人たちだけで忘年会をやり私が幹事をやったんですが、私は飲み屋に行く様になっていたのでそこそこ飲める様になっており、自分の裁量で酒を注文してしまい当時十五歳から十八歳の人たちばかりでしたから、そんなに酒を飲まないので酒が余ってしまい一人で残っている酒を飲んで酔っ払ってしまい、初めて友達に家まで送って貰いました。その時隠れて吸っていたタバコも親にバレてしまいました。
私は子供の頃から他の人と話をするのが苦手で、自分の方から話かけられなかったんですが、お酒を飲むと気持ちが大きくなって大人たちとも話が出来るので、酒って良いものだと思いました。若い頃仕事を覚えるために何箇所か会社を変えた時期がありましたが、職場の人たちと親しくなれるのはやはり酒でした。初めて行った会社でも必ず初日から会社の近くの酒屋に行きましたから、その会社にも慣れるようになりました。
二十四歳の頃半年ばかり八丁堀の会社にいっていたんですが、職場の友達と二人で毎日の様に帰りに酒屋から始まり飲み屋のハシゴ酒をやり、朝は八丁堀で降りて会社に行くんですが、帰りは必ず有楽町に出て飲んでいました。毎日の様に帰りは終電前か終電でした。その頃はまだ若かったせいか会社を休んだり、遅刻したりすることはありませんでした。
その当時から徹夜作業が多くなり、朝家に帰ってきても目が冴えて寝られないので朝から酒をのむ様になり徹夜作業がない休日も朝から酒を飲む様になった。歳とともに身体にこたえる様になり二日酔いも始まり、月曜日は会社に行けなくなり、二日酔いもだんだん酷くなり、肝臓も悪くなり、四十歳から四十二歳まで三年連続で内科の病院に入院することになりました。四十二歳の時、武蔵野療養所でアルコール依存症と診断されました。
今思うと私は飲み始めから飲み方がおかしかったと思います。十五歳で飲みたくて仕方がないというのは普通じゃないと思います。アルコール依存症になるべくして成ったと思います。アルコール依存症になるとは思わず飲んでいましたが、私は若い頃にアルコール依存症になっていたと思います。今思うと若い頃から異常な飲み方をしていたと思います。