私は五才~六才の頃から、お酒が好きだった父親の晩酌を楽しみにしていました。勿論ぐいぐい飲んでいた訳ではありませんが酔っ払ってくるうちに、父は鞄の中の十円硬貨をじゃらじゃらと出しては、小遣いとして私にくれるのでした。私はそれが目的で、父に重いビールの大瓶でお酌をかってでていた訳です。母も二才年上の兄もお酒には無関心でしたから、私は話しの分かる話し相手だと父は思って喜んでいました。
やがて学校を終えて社会人として働いたのがレストランの接客サービスやホテルの宴会場の仕事でした。職場の中の手の届くところに普段口にすることができないような豪華な料理や世界各国のお酒があるわけですから、いつからともなく試し飲み、食いをする習慣がついてしまいました。それには、勿論お酒を飲める体質が私にあったことは言うまでもありませんが酔うと何とも言えない気分の高揚感があり、仕事が終ると殆ど毎晩「反省会」などと言っては試飲試食をくり返しました。アルコールの量もしだいに増え、またより強いウイスキーや焼酎、ブランデーといったお酒も飲んでみました。
三十才後半から四十才になる頃に、会社での健康診断で心臓、肝臓、腎臓に不具合が毎回みつかり、お医者からも家庭からも節酒、休肝日の話が交わされましたが、私は聞く耳をもたず人ごとのように生活していました。なかでも酔っぱらって家の中で家内と口論となったある夜、私は酒の勢いでなり振りが分からなくなり二階に逃げた家内に大声で「俺の言うことを聞けないのか!」と怒鳴り続けていました。今考えてもこの時何のことを二人で話していたのか覚えていないのですが、とにかく家内のことが気に入らず、自分の言い分をただわからせようと大声で怒鳴っていたのです。そこで日曜大工で使ったトンカチが傍にあったので、ふうっ!とそれを手に取って階段をよたよたしながら上がっていきました。途中で家内の気を引こうとして、壁をその金槌でドンドンと叩きながら二階まで行きました。家内は二階の部屋の扉を内側から鍵をかけていました。扉も同じように金槌で叩いたのですが家内は開けませんでした。何故自分がトンカチであちこち叩いてしまったのかは家内の注意を引く為でしたが、家内にしてみたら酔っぱらった男が狂気の沙汰で凶器のトンカチを振り上げながら近づいてくる恐ろしさをきっと身震いして感じていたに違いありません。この金槌事件がどういう風に収まったのかも今の自分の記憶にはないのです。お酒をやめられている今の私自身恥ずかしく思っています。
お酒が原因の病気は数え切れないほどありますが、自分のしたことを誰かに聞かないと思い出せないことが、そもそもこの病気の最悪な症状です。カナヅチで叩くつもりはなかったのに、家内の心の中に消すことのできないほどの深い傷を残してしまった一本のトンカチと私。妻には本当に申し訳ないことをしてしまったと思っています。今度はこの金槌で「よくできたねぇ!」と言われる大工仕事をしたいと思っている。
私のした悪行はあげれば他に沢山ある。夜更かし朝寝坊の昼夜逆転生活。風呂の中で長々と一人ごとを言って気味悪がられたり、そうかといえば浴槽で一晩寝てしまい危うく溺れるところだったり、台所で大の字で寝てたり、ゴミや廃品を集めて喜んだりと。ある時そんな私に愛想をつかした家内は京王断酒会の諸先輩からのアドバイスで一切の食事を作らないという制裁をかけてきたことがあった。
これには、最初のうちは保存食としての切り餅や乾麺を茹でてやり過ごしていたが、一日一食の兵糧攻め生活となってしまった。困り果てた私はついに警察まで電話をして、これは虐待だとか家庭内暴力だとか訴えました。ところがおまわりさん曰く警察は民事不介入でした。結局これもいつの間にか、あまりに私が痩せこけてきたので「死なれたら困る」と思われたのか、食べさせて貰える身分に戻りました。色々なことが家族の中であり、そのたびに話し合ったおかげか、今では三人の娘たちもそれぞれ良き伴侶と一緒になり、独立したので二人して余生をそれなりに楽しんでやっております。
今その妻に感謝しながら、この体験談を書きました。有難うございます。