断酒会に入会する五年程前に、夫は二年半位酒をやめた時期がありました。病気で寝たきりになってしまった母のためです。「自分が荒れた生活をしていては、看病もできない」との思いで。
子供達とジョギングやプール通いをする穏やかな日が過ぎていきました。その頃は、家族みんなで母をリビングに置いたビニールプールのような風呂に入れます。夫と長男がテーブルを片付けて、特製の寝たきり人用の風呂にお湯を張る。私と長女が横たわった母の髪を洗い体を流す。「すまないね。本当に気持ちがいいよ」と動かなくなった母の手足も、娘のマッサージで心なしか伸びるようでした。その間にベッドのシーツを取り換え、下の娘が新しい寝間着を広げた所へ、十分に暖まった母を寝かせると、吸い飲みでジュースを飲ませるのは末の子の役目。後片付けは夫と長男が手際良くこなしてくれました。気持ち良い疲れで母は眠りに入る。毎週日曜日の昼下がり繰り返された光景です。そんな母思いの夫は、再入院した母に食事を食べさせるため、凍てつく真冬の早朝に自転車で病院に通うのも日課でした。
しかし、再び酒を飲み始めた夫は寝たきりの母のベッドの横で、手打ちそばの膳をひっくり返し母を激しい言葉で罵るのです。優しさと激しい怒りは繰り返され酒乱は母の死後いっそう酷くなりました。その年の十月、長谷川病院に入院した夫は、自分から求めて心の病と向き合ったのです。夫の育った家庭では心が満たされることがなく、いつも母の愛の温かさを求め続け、傷ついた心は激しい憤りとなって彼を苦しめたのです。酒にしか救いを求めることが出来なかった心はズタズタで、私や子供のことさえ傷付け、何も受け入れず渇ききっているようでした。親孝行さえ母への思慕の表れでした。しかし、母への精一杯の看病も子供の頃に心にできた亀裂を埋めることは出来なかったのです。
長谷川病院の医師やスタッフの力を借りて、十年をかけて心の傷の治療をしてきた夫を支えてくれたのは、断酒会でした。週一回のカウンセリングを受け、毎日断酒会へ通い、帰ると気持ちをまとめるため部屋にこもって夜中まで机に向かっていました。満たされず凝り固まった心は、辛かった思いを聞いてくれる仲間に向かって話し続けるうちに解けていくようでした。
その時期に書き綴ったものを一冊の本(※碧天舎『酒乱の眼』・当時)という形にまとめることが出来ました。十年にわたったアルコール依存症という病のモトを探る心の旅は、自分自身の真実の姿を見るための激しい葛藤と勇気を奮い立たせて挑み続けた戦いの日々の記録でもあります。共に歩き続ける仲間の人達にも、ぜひ読んで頂けたらと思います。
これからも、楽に生きる道を探るための断酒会通いは、続けられそうです。
※現在は「アルコール依存症の正体」(22世紀アート)