自立への路 TS 2024

 私は、京王断酒会『いばしょ』にお世話になって五年あまりが経ちます。アルコール専門病院を退院した後、ここに来て色々なお話を聞いたり自分の事を話したりする迄、自分がアルコール依存症とは思っていませんでした。                                  
 思い起こせばお酒とのお付き合いは三十代の頃、親しい友達と楽しいお酒をたしなむ程度のものでした。
 義父の病気をきっかけに、姑も同居し、親戚も大勢集まるようになりました。夫の家族は、九州の離島の出身で、話し言葉もよくわからず、新潟育ちの内気な私には、とても打ち解ける事もできず、強い疎外感にさいなまれました。
 義父の死後、時を置かずに溺愛していた猫の死。相変わらずの親族との関係など色々な事が重なって自暴自棄になっていきました。
 逃げ場のない思考の中で、死への旅立ちのシナリオを描き、自分の葬儀費用等もわずかながら貯蓄しました。そのころからは、ほとんど毎日のように家族に隠れて飲むようになりました。大きなペットボトルのゴミ箱の奥底に焼酎を隠し、匂いけしのつもりで、牛乳で割って飲みました。
ある日、買い物帰りの駐輪場で意識を失い(後からアルコールてんかんと知りました)救急車の中で、かろうじて住所・氏名・主人の電話番号を告げ、市立病院へ入院しました 。その頃の記憶はほとんどありません。医師からアルコールに関する病気なので、井之頭病院への転院を指示され入院しました。初診で入院三か月と聞いて、あと三か月たったらまた元の生活に戻れるんだと軽く考えていました。病室は、四人部屋で皆と気が合い和気あいあいと楽しく過ごせました。特に隣のベッドの方は年齢も近く良い話し相手となってくれました。その方が退院の際「退院したら酒をやめる」と真剣な面持ちで言っていたことをその時は、真摯に受け止めることはできませんでした。その方は、最後に自分の使っていたカップを私に残してくれました。そのカップは、今でも自分への戒めと思い『いばしょ』で大切に使っています。
退院も近づき、医師から退院の条件として、デイケアか自助会に行くことを言い渡されました。さてどうしたものかと考えているとき、何の気なしに食堂のパンフレットを手にしました。あまり目立ったものではありませんでしたが、『いばしょ』のネーミングが自分の探し求めていた居場所とぴったり重なりとにかく行こうと決心しました。
 私の判断は、間違っていなかった。これだけは、自分自身を褒めてやることが出来る。方向音痴な私は、たびたび道に迷い、人に聞き、『いばしょ』に電話をしそれでも通い続けました。ここでしか断酒は出来ない!創始者ご夫妻・家族の方々・本人達と家族同様に毎日過ごさせていただき、色々なことを教えてもらい、経験させてもらっている。
 小さいころから劣等感が人一倍強い自分は、親戚の所や他人の家に行くことが苦手でほとんど行くことが出来なかった。言いたいこと、言わなければならないことも言わず、「なんで私の事をわかってくれない」等々独りよがりの考え方しかしていない事に気付かされました。でも自分を変える事はとても難しい。「言うは易し、行うは難し」その通り。なかなか実行に移せないでいる。一番大切な家族への感謝・ありがとうの言葉。心から、心底から言える。それが出来た時、初めて自分は自立したと言えるのではないかと思っています。その日が来るまでは『いばしょ』に通い続け、考え続けたいと思います。