断酒の動機と飲酒の動機 WF 2017,1

 最初の入院は今からおよそ二年前、2014年の11月末でした。
朝からの飲酒がついに連続飲酒に。その前からアルコール依存症との診断、医師からの勧めもあり、受け入れざるを得なくなりました。
 井之頭病院での三ヶ月。途中、一人暮らしの母の死もあり、瞬く間に過ぎてしまいました。今では当時のプログラムの記憶も定かではなく、アルコールが抜けぬままだったような気さえします。
 退院も近くなった頃、ノックビンの効果を試そうとの良からぬ考えから外出時に焼酎を飲んでしまいました。肉体的には大したことにはならなかったのですが、その日から飲酒欲求が強くなってしまい、そのまま退院したように思います。このような無自覚・不真面目な入院で、その上飲酒欲求満々の退院でしたから、当然のように退院の帰り道にはコンビニに直行していました。
 曲がりなりにも入院による三ヶ月の断酒の後の再飲酒ですから、病院で習ったとおり依存症はさらに進行していたようです。焼酎を一日一杯に抑えようとの努力も虚しく、井之頭病院のデイケアに出かける朝に一杯を消化してしまい、昼休みを酒なしで過ごせる訳もなく、一週間も待たずして、またもや連続飲酒の奈落へと堕ちていきました。この時の連続飲酒はまさに奈落と呼ぶにふさわしく急激で深いもので、このままでは死ぬまで飲み続けるのではないかというありありとした死の恐怖を感じました。
 二回目の入院ま一月と待つことはありませんでした。担当医師との話し合いで、今回はゆっくり行きましょうということになり、14ヶ月超という長い入院になりました。
 おかげで、半年後にはそれまで数十年苦しんだ不眠とうつが嘘のように消えてしまい、それらは飲酒が原因であったこともハッキリしました。
 酒害体験は枚挙にいとまがありませんが、断酒の直接的動機はこの連続飲酒の死への恐怖と断酒による不眠とうつの解消の喜びであったと思います。
飲酒は十代後半から始まり、二十歳を過ぎる頃には習慣飲酒となり、それも毎日かなりの酒量であったと思います。
 それから四十年、なぜ異常とも言える大量飲酒を続けたのでしょうか?公私ともに日々ストレスを感じるということは通常の人々以上にあったとは思えません。むしろそれを感じることは少なかったのではないでしょうか。
 しかし私の場合思春期に人が感じる虚無感がいつしか破滅願望へと発展していったように思います。普通それは成長とともに薄れ、現実的人生観が生まれるものですが、私の場合未発達のままそれがくすぶり続けてしまったようです。かと言って自殺をする勇気もなく、優柔不断な性格と相まって破滅を先送りにしつつ気が付くと還暦も過ぎ、挙句の果てのアルコール依存症の診断でした。
 今、入院日数も数える肉体的断酒は一年半を超え、意志的断酒も5ヶ月を過ぎ、のどの渇きのような飲酒欲求はなりを潜めているように思えますが、飲酒の動機である破滅願望は心の奥底でひそかにくすぶり続けているのを感じます。我ながら成長がないものと情けない思いです。
 この死への願望と、連続飲酒時の死の恐怖すなわち生への願望。相容れない二つの願望のせめぎあいが今の心の内のような気がします。
 今断酒して生きようと思えるのは断酒会の例会の力を頂いているからです。そこでのお話しは私の幼い感傷など吹き飛ばす力があり、私を生へと導いてくれます。